2017年10月1日日曜日

いろいろなことがあったけど、全てのことに感謝。

 

 オハイオに来て「思えば遠くに来たもんだ」という言葉が浮かんだことがある。

 英語も母国語のようにとはいかないけれど、不自由しなくなった。(相変わらず間違えるけど)風習にひい~~っと驚くこともなくなった。反対に日本の風習を忘れていて「そうだっけ?」と驚いたりする。

 夫は日本が大好きで自分でリクエストを出して日本に来た。それでも日本の習慣で困惑することも多かったと思う。今でも日本は大好きだけど日本では嫌なこともあった。

 結婚してはじめは日本に住んだのだが、外国人ということで家を借りるのも大変だった。それから旅館などの旅行の予約も外国人同士ではだめと何箇所も断られた。 

 私も日本に住む日本人でいながら、外国側の目で見なければ、知らないこともとても多かった。

 結婚前、渡米前の書類の多さも大変だった。

 大使館も何回も行った。警視庁(犯罪の記録がないか)も行った。病院の検査も何回も行った。指定病院で料金も高かったように記憶している。

 米国に渡ってからは今度は私のほうが文化の違い、風習の違いに戸惑った。

 初めてのアメリカはアイダホの荒野だったので、この頃は言葉もわからないことが多かったし、なにもかも初めてで、帰ることばかり考えていた。 何かといえば「日本に帰る~~」

 寂しくて、辛くて、この時もよく泣いていた。
今では毎日大笑いしている我が家だが、いろいろなことがあった。

 結婚して知らないことがあまりにもあり困惑した日々。

 アメリカで慣れない風習に涙した日々。

 突然病に倒れ闘病した日々。

 いつでも家族がサポートしてくれて、そのおかげで乗り切ることができたと思う。

 23年たち、アメリカ生活もすっかり慣れて、国籍を取り、お互いにいろいろ理解できたかなあ?と思っている。

 何よりも大事なのは歩み寄ることだと思う。これは日本人同士でもアメリカ人同士でも全く同じだと思うのだ。

 お互いをたとえ理解できない部分があっても(理解しようと歩み寄る気持)が大事だと思う。理解できないこともたくさんあるし、自分はできない!と思っても

「そうなんだ~」と認める心が国際結婚を維持していくコツかなかなと思う。そして、それはどんな形の結婚でも同じなのだと思う。

 これからも、どこの国に住むとしても、夫と息子がいるところが私の世界と思っている。 

 息子にもいつか家族が増えた時、どこの国のお嫁さんが来ても夫のママが私にしてくれたように、初めて会った時には抱きしめて I love youと言ってあげたい。

そして夫と一緒に歳を重ねていきたい。


「いろいろあったね」と話しながら
「日本語また間違えてるよ」「英語もね」と笑いながら。



 私はこの人と結婚できて本当に良かった。

 とっても、とっても幸せだ。

 ありがとう。 アメリカンおとうたん。





。。。。。。。。。。。。。。。。。




あとがき

最後までお読みいただきありがとうございました。

結婚生活は色々あると思いますが、特に国際結婚は山あり谷ありでした。

おもしろいことだけ書こうと思いましたが、泣いたこともありました。
大きな問題はやはり子供のしつけや教育問題でした。

しかし子供が小学校2年生のときに私に乳がんが見つかり闘病のために突然ハワイに引っ越すことになったのです。
それから数年は私にとっても家族にとってもすごく辛いものでした。
学校も行けない時期もあり、教育どころではなかったように思います。

皮肉なことにこの時期家族の絆がすごく強くなったのです。

あの頃に比べたら多少のことは、と思えるようになりました。
本当に大事なものが見えたような気がします。

現在、息子は大学生になりました。
外国語の(日本語)の授業を取って家庭教師のようなこともやっています。
私の日本語の間違いを指摘されます。とほほ。


家族はとても仲が良いと思います。
私のモットーは家の中は明るく楽しく。です。
お母さんが(妻が)健康で明るいことは大事なことだと思うのです。

息子もいつか結婚するでしょう。違う国の人かもしれません。

その時にはお嫁ちゃんをだきしめて「大丈夫だよ」と笑ってあげたいと思います。




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