2017年9月30日土曜日

5新婚時代



23年前の日本ではまだ私たちは奇異な目で見られることも多かったように思います。

ただ、夫は日本でそれ以上に優しく親切にしてもらっていました。

お店に入り

「こんにちは」というだけで

「あら~この外人さん日本語上手だわ~」とおまけしてもらっていました。

ずるいです。

私がアメリカでハローと言ってもハローと帰ってくるだけです。

 助六のシャツを着てにこにこと「こんにちは」を連発する夫は多くの日本人から愛されていました。

ただ、結婚してから悲しいことがあったのです。

結婚してすぐに家をなかなか借りれなかったのです。

(外国人お断り)と堂々と書いてある家は(ペットお断り)よりも多いくらいでした。

それまで優しくしてもらっていた外人さんはすっかり落ち込んでしまいました。

当時の日本では個人では見てもらえず、全員ひとくくりに(外国人)そしてお断りと続きます。 不動産屋さんも電話で小さな声で「でもね、良さそうな人ですよ」と言ってくれるのですが、当時はかなり難しい状況でした。

やっと見つけた家は大家さんが短期出張中の6ヶ月だけ契約の家でした。和室もある素敵な広い一軒家で私たちは手を取り合って喜びました。

 一階はキッチンダイニング・リビング。2階は6畳2つ。真ん中に3畳の部屋があったのですが、

夫は3畳の部屋をしげしげ眺め

「ここは?クローゼット?」

ローマの休日のお姫様か?



確かにその真中の部屋はあまり使いみちがなく、タンス置きの部屋になったので結果的には当たっていました。

日本の家は確かに狭いし、夫は何回か頭もぶつけたりしたけれど、この家は2人暮らしに十分すぎるほどすてきな広い綺麗な家でした。

そうやって始まった結婚生活は最初は慣れずに戸惑うことも多かったのです。言葉の壁も大きかったし、文化の違いもお互い「なんでよう」と思うこともとても多かったように思います。

意思の疎通が出来なかった時は喧嘩になったりもしました。

国際結婚は最初は何もかも珍しく甘い日々、長く生活していくうちに日々の細かいことで意見がくいちがったり、勘違いから喧嘩になったり、慣れない土地や文化に疲れたりするのです。

それでもお互いが歩み寄って理解できなくても、しようとする姿勢が大事ではないかと思います。

4タクワンの話


日本食が大好きな夫、チャレンジするのも大好きなのです。

カリフォルニア出身なので日本食も結構食べ慣れています。

はじめて日本に来た時に1人で街を探検し、見るもの全て珍しく、写真を撮りながら街を練り歩いたそうです。

スーパーに入った夫はタクワンを見て大興奮したそう。 

「あれだ!カリフォルニアの日本食レストランの定食とかについている黄色い美味しいやつだ!!」大好きなアレ。

長いタクワンを丸ごと買って、それを剥きながらボリボリと歩き食いをしました。

「そうしたらね!半分も食べてないのに気持ち悪くなったんだよ!!」

当たり前です。 

というか半分近く食べたんだ? 

塩分摂りすぎですね。

確かに外国の食べ物は食べ方がわからないですね。

夫の母が日本に来た時にしゃぶしゃぶ店に連れて行ったのですが、鍋を見て

「お湯!?」

「マム、ここにね、薄いお肉をスイースイーって洗うように入れるの」なんて身振りで説明しているところにお野菜がやってきました。

白菜、もやし、ネギが乗っている大きな皿を受け取ったお母さんはなんと

もっしゃ、もっしゃと食べ始めました。

「うわ~~~~~それ鍋に入れるの~~」

サラダだと思ったそうです。

「味ががないなと思ったわ」と言いながら、口からもやしが出ていたのを今でも思い出します。

3亀の話




まだ結婚する前のお話です。基地の独身者用のドームの彼の部屋へ遊びに行った時の事です。

米軍の独身者は一部屋をルームメートと共有しているのです。

そして彼の側にはなんと、畳が敷いてあったのです。 初めて見たときはびっくりしました。 

「たたみ~??」

「うん、いいでしょう?タタミマット!ヘビーだった!」

2畳分の畳マット。 買って持って帰ったらしいです。

そして壁には布のタペストリーがかっていたのですが、

(京都)(日本)の漢字、絵は富士山と桜と舞妓さん。

謎です。

「これ、どこで買ったの?」

「あ!これ好き?欲しい?」

いりません。

さらにベッドの上に毛布が掛けてあったのですが、一面に大きな虎の模様でした。

なんか、それ、もう、日本じゃないし。

ハリウッドの日本人が出てくる場面でジャーンと銅鑼が鳴り響くような感じ? 

それにしても、提灯とか紙でできたランプとかどこもかしこも日本ラブにあふれていて、私はぷっと笑いながらもすごくうれしくなってしまったのです。

そしてペットの緑がめを大事に飼っていました。 きれいな水槽に色とりどりの石を敷き詰め、宝箱のような飾りも入っています。

「カメ飼ってるんだ!名前は?」

「かめちゃん」

そのまんまでした。

そしてかめちゃんは初めて行ったお祭りで買ったらしいのです。

多分福生の七夕祭り。金魚すくいは難しかった、とか焼いたコーンはすごく美味しかったとかすごくエンジョイしたそうです。嬉しそうに話してくれます。

そして小さいかめちゃんに一目惚れした夫。 

「あううこれ、いくらでーすかー?」と涙目で聞いたに違いありません。確信しているのはわけがあるのです。これは後から書いていきます。

すごく大事にかめちゃんを飼っているのを見て、そして優しそうな目でカメちゃんを見るのを見て、この人は家族を大事にする人に違いないと直感しました。

そしてその直感は大当たりだったのです。


2初デート




電話番号を交換していたので、ある日思い切って電話をしてみました。 

あわあわしないように、前もって言いたいことを紙に書いておいて練習してからかけたのですが、やはり慌ててしまいました。

「Hello お元気ですか?」なんていう挨拶の後に、

「I like you!!」

と言ってしまいました。 今書くとすっごく恥ずかしい、中学1年生の英語ですね。

そして、続けて言ったのは

「Take me out!」  

自分としては

「どこかに連れてってくれる?」みたいな甘い感じと思っていたのですが、今考えると

「どっか、連れてけ!」に近いかもしれないです。 というか、そうです。

 彼はびっくりしたかもしれません。おとなしく優しいとアメリカ人男性が憧れる日本女性がいきなり

「好きだ!どっか連れて行け!」脅迫ですね。

まあ中学英語でもこうやってデートが始まったのですから、基本は大事だなと思います。

そんなふうに私の英語はまだまだ片言で、夫の日本語は単語20個位と長めのセリフは

「トイレはどこですか? 」くらいでした。あと

「ビールをください」

「うん、この2つは大事だよ」と今でも言っています。

初デートはお互いがハンディー辞書を持っていきました。

ああ、今の時代ならスマホでちょいちょいっと英単語が出てくるのに、辞書をめくるダサい私達。 でも、それもいい思い出になっています。



初デートは新宿にしました。 

待ち合わせ場所に現れた彼は、なんと胸一面に大きなカブキの絵が書いてあるTシャツを着ていました。でっかく(助六)と書いてありました。

今なら「うわ~だせえ」と笑う、そんなデザインですが、その時はなんだかとても嬉しくなってしまったのです。

日本が大好きで一生懸命日本語を習おうとするでっかいスケロク、いや外国人。

その姿を見て、ますます気に入ってしまいました。

その日はメモ片手に新宿観光をしたのです。前日英会話の本を見ながら(ここは新宿都庁です)とか(この辺は高層ビルが建っています)を英語で書き込んだメモ。

たどたどしい説明にオーバーにOH!!と喜んでくれる彼。なにか食べるたびに

「OH!おいし~です!」と大喜びしてくれます。 

道端で売ってる小さなおもちゃを見つけても「OH!かわい!」 露天のおにいさんも

「歌舞伎!助六かい!嬉しいね、似合ってるよ!」と嬉しそうです。

「えっと、これ、くーださい」

「ありがとうね!ひとつ?」

「も、ひとつ」

そこで売っていた薄い木でできた首が動く鳥とトンボのマグネットを買ってくれました。 

今は羽が折れたトンボは24年後の今でも我が家の宝箱に入っています。

この日、朝から夜まで一緒にいて、帰りには手をつないでいました。

朝待ち合わせした時はただの友達だったのですが、一日一緒にいて夕食を食べる頃にはすっかり意気投合していたのでした。

夕食は新宿のビルの中のしゃぶしゃぶ屋さん。 「こうやって食べるの、しゃーぶしゃーぶってウオッシュするのよ」

「しゃーぶしゃーぶ」

「そう!きゃ~上手!」って何が上手だったんでしょうか?

会話を書いていると馬鹿っぽいので省略します。

話をして楽しくて惹かれ合い、付き合うことになりました。





その後数ヶ月で結婚することになり、あれよあれよで23年も経ちました。

今ではおもろい日本語を話すおっさんになった夫と変な英語を話すおばはんの中年夫婦です。

1 初めての出会い


1,出会い



夫との出会いは在日基地の中でした。

当時英会話教室で英語を習っていた私に、友人が基地のアメリカ人を紹介してくれました。その男性が夫になったわけではなく、初フレンドは残念ながら嫌な男だったのです。ただ本物の英会話を聞けるチャンスと考え基地に出入りするようになっていきました。

初めてのオール英語。頭がガンガンしてきます。紹介してもらった人ですが、すごく短気な人でした。時々日本語でなにか言ってくれるのですが、全くわからないのです。

ある日、

Do you know ボーノードーリーと言うので

「???ドードー鳥?」と聞き返すと

「No!! ボーノドーリ!!ボーノードーリー!」そして英語で

「日本人なら誰でも知ってる!!わからないおまえはおかしい」と切れられたこともありました。

何十回もボーノドリ!!ボーノドーリ!!と叫びながら手を振りまわしています。


どう見てもドードー鳥の物まねです。


その男性の友達がすたすたと歩いて来て

「盆踊り」と言って去っていきました。 その友達の方はスペイン系ですごく日本語の発音がうまかったのです。

手を振り回してたのは盆踊りだったようです。

ボーノドリさんはすっかり、おかんむりでした。

Bon-odoriのBonのNと次のOがくっついて(ノ)という発音になったのです。アメリカ英語では良くあるので、今ならピンとくるかもしれませんが、当時は想像もできませんでした。

踊りも全く盆踊りじゃなかったです。



そんな独身寮のコミュニティールームで少々疲れていた私に

「こんにちわあ」と日本語で話しかけ優しく笑ってくれた身体の大きい男性がいました。フレンドリーな良い人でいつもにこにこ笑っていました。その人が夫になりました。

何度か友人も一緒にグループで出かけました。そして、思いやりがあるその人にどんどん惹かれていったのです。

数人の日米グループでピクニックに行ったり、山に行ったりしてグループでは楽しかった日々。でもボーノドリさんはますます独占欲が出てきて縛り付けようとするのです。

「もう夜遅い、俺は明日早いから泊まっていってくれ」なんて言うので「絶対にダメ!何時になっても帰らないと!」と深夜の大げんか。

その時にお休みだった夫は1人でリクレーションルームでテレビを見ていました。「あ、じゃあ僕が送っていくよ」「そうしてくれ!俺は朝が早いんだ」それはもう聞いたとぷりぷりしながら車に乗り、丁寧にお礼を言って送ってもらったのでした。

家について「本当にありがとう」と玄関の前に立ちました。

車が出る時に見送るのが礼儀の日本人。家に入るのを見届けるのが礼儀なアメリカ人。

玄関前で立ち尽くす私。 車の中で微動だにしない夫。

立ってる私。待ってる夫。

いつまでもいつまでもお互い動きません。 数分たち、やっと­­­「なにか変だ」と気が付いた私たち。

車から顔を出して「かーぎ?かーぎ?」と言うので、何だろうと思っていたら自分のキーを見せて「かーぎ?」と首をかしげます。

翻訳すると「鍵を持っていなくて家に入れないの?」

それでやっと(文化の違い)に気が付いたのでした。