当時私は英会話教室で英語を習っていた。
先生との会話だけではなく、友達がほしいなと言う私に友人が基地のアメリカ人を紹介してくれた。その男性が夫になったわけではなく、初フレンドは残念な男だった。
イタリア系のその男性は短気(Hot head)で、ばっかやろー(Dick head)だった。 ただ本物の英会話を聞けるチャンスだし、友達はたくさんいたほうが良いと思い、基地に出入りすることにした。
初めての基地の中。独身用のドームに何十人もの若いアメリカ軍人がいた。初めてのオール英語。
勉強どころではなく頭がガンガンしてくる。紹介してもらったイタリア人、時々日本語でなにか言ってくるが、全くわからない。
ある日、あれ知ってるよね?と
「ボーノードーリー」と言った。
「え????ドードー鳥?」
「No!!No!! ボーノドーリ!!」そして英語で
「日本人なら誰でも知ってる!!わからないおまえはおかしい」と怒っていた。
何十回もボーノドリ!!ボーノドーリ!!と叫びながら手を振りまわしている。
鶏か?いや、どう見てもドードー鳥の物まねだ。
怒りながら鶏ダンスをしているイタリア人。困り果てた日本人(私)
その時に助け舟が。その(ドードー鳥)の友達がすたすたと歩いて来て
「ぼんおどり!」と言って去っていった。
謎のボーノドーリは盆踊りだった。
その友達はスペイン系だった。スペイン語が母国の人は日本語の発音が非常にうまかった。
若いアメリカ人同士は皆おもしろがって悪い言葉を教えあっていたが、「キィーンテァ~マ」ではなく「きんた◯!」と非常に綺麗に発音できる人だった。
ボーノドーリーの謎はBon-odoriのBonのNと次のOがくっついて(ノ)という発音になったのだった。アメリカ英語では良くあるので、今ならピンとくるけれど、当時は想像もできなかった。
踊りは全く盆踊りじゃなかった。
かんかんなボーノー鳥の真っ赤な怒った顔を今でも思い出す。
そんな独身寮のコミュニティールームで少々疲れていた私に
「こんにちわあ」と日本語で話しかけ優しく笑ってくれた身体の大きい男性がいた。フレンドリーな良い人でいつもにこにこ笑っていた。
何度か友人と一緒にグループで出かけた。そして、思いやりがあるその人にどんどん惹かれていった。
この男性こそ、後に日本の絶世の美女(ちょっと嘘)と結婚することになる夫だった。
数人の日米グループでピクニックに行ったり、山に行ったりしてグループでは楽しかった日々。でも初フレンドのボーノドリさんはますます独占欲が出てきて縛り付けようとしていた。
ある日ボーノドリの部屋に遊びに行ったときのこと。
「もう夜遅い、俺は明日早いから泊まっていってくれ」という。
「え?絶対にダメ!何時になっても帰らないと!」と深夜の大げんか。大和撫子の大ピンチだ。
その時にお休みだった夫は1人でリクレーションルームという独身寮での共用スペースでテレビを見ていた。
「あ、じゃあ僕が送っていくよ」
「そうしてくれ!俺は朝が早いんだ」
それはもう聞いたとぷりぷりしながら車に乗り、丁寧にお礼を言って送ってもらったのだった。
約四〇分ののドライブの間も気を使ってくれた。そして家について
「本当にありがとう」と玄関の前に立ち「バイバイ」と手を振る。
車が出る時に見送るのが礼儀の日本人。家に入るのを見届けるのが礼儀なアメリカ人。
玄関前で立ち尽くす私。 車の中で微動だにしない夫。
立ってる私。待ってる夫。
立ってる私。待ってる夫。
数分たち、やっと「なにか変だ」と気が付いた私たち。
車から顔を出して「かーぎー?かーぎー?」と言うので、何だろうと思っていたら自分のキーを見せて「かーぎ?」と首をかしげた。
翻訳すると
「鍵を持っていなくて、家に入れないの?」
それでやっと(文化の違い)に気が付いたのだった。
大きな体で小さい日本の車に狭そうに座り「かーぎ?」と首を傾げている心優しい大きい人が好きになった。
0 件のコメント:
コメントを投稿