2017年10月1日日曜日

宣誓式でアメリカ人になった日

5月の試験の後1ヵ月半後。

2010年 6月23日 水曜日 

宣誓式がLAコンベンションセンターで行われた。

私は午後の部。 
それでもこの同じ時にアメリカ人になった人はここだけで2650人!
午前の部もあるので、その倍の人がこの日アメリカ人になった。

 駐車場から、すでに長い人の波。 センターの外では証書を入れるバインダーを外で5ドルで売っていた。

 入り口も中も長い列。 付き添いも入れて約4000人の人人……
ドアの両側で「こちらが市民権!」「こっちが付き添いの人!」とどなっていて圧倒された。

 夫は強面デカの試験管の勧めで軍服を着て行くと、会場の係りの方が私たちを見かけるや否や、サッと飛んできてくれて中央の赤いカーペットの上をエスコートしてくれた。
まだ両方の入り口では長蛇の列なのに。そしてなんと舞台の一番前の席へ。 軍の専用席だった。
すっごく特別に扱ってくれて感動した。コワモテデカ!ありがとう。

 式典が始まり、いろいろな人のご挨拶中で感動したのは「皆さんは自分の国を捨てたわけではないのです。これからは2つの国を背負うのです」というもので、新しいアメリカ人たちもワーッと大拍手。

 ものすごい盛り上がりでロックコンサートのようだ。ハデだな、アメリカ。
国歌斉唱から誓いの言葉まで、あっという間だった気がする。
誓いの言葉の後に

「これで皆さんは今日からアメリカ国民です」
「わ~~~」とミニアメリカ国旗を振りまわし、大歓声の中セレモニーは終了した。

 誓いの言葉が終わって始めて(アメリカ人)になるのだ。
式典の後、証明書をもらえる。 
そのさいに永住権グリーンカードをゴミ箱のようなところにポイ!っと入れられたのが衝撃だった。 ああ~あれも苦労したのに~と。しかも最近書き換えたばかりで3万くらいがポイッと。いや~~。

 始まる前は複雑な気持ちだったのに、終わったら嬉しくて胸がいっぱいに…。

 意識が変わった瞬間だった。外国人からこの国の人間へ。

 でもけっして日本を捨てたわけじゃなく、日本の心をもったままのアメリカ人。
息子にもきちんと文化や言葉を受け継いで欲しいと思っている。

 私の2つの国。

 生まれて育ててくれた日本。受け入れてくれたアメリカ。

 ありがとう、日本。 ありがとう、アメリカ。

 とても強くなったような不思議な気持ちになった。

LAで猫をアダプションした日

 LA時代の大きな出来事の1つは猫を飼い始めたことだ。

 LAで母を呼び寄せることになった。日本を離れて寂しい母へせめてなにか毎日が楽しくなるようにと考えたのが発端だった。

 猫は私も大好きだが、移動が多いミリタリー生活なので引退してからと思っていた。
生き物を飼うってとても責任があると思う。亀のかめちゃんはアイダホに連れていけずに(当時爬虫類と両生類は連れて行けなかった)泣く泣くお友達に託していった夫も慎重だった。

「う~ん、猫ね、ちゃんと世話をするよね?ぼくは出張も多いよ?」
「母が世話をするって言ってるよ、私も手伝うし」
「旅行もあまりいけなくなるよ?よく考えた?」
「うん、考えたよ」

 根が真面目な私たちはそんな話を毎晩していた。
最初何も知らずにペットショップへ行ったのだが、犬も猫も売っていない!
この時はもう違法になっていることを知らなかった。 ペットといえばペットショップもしくは外で子猫を拾うまたは子犬をもらう。という考えしかなかった私達あせった。
のら猫も保護されるのでいない。
拾いたくても、のら猫はいない。買いたくてもペットショップにもいない。

 ある日ペットショップに張り紙がしてあるのを発見した。 そこには、今度の日曜日アダプション会(里親会)ある。と書いてあった。 

「あ!これ、これだよ。良かった行ってみよう!」
LAトーランス近くにあるローンデールの大きなペット屋さんに日曜日行った。 今まで売るための子犬や子猫が入っていたケージにアダプションの子猫が!!
「ギャ~この子を!」
「もう予約済みなのごめんなさいね。今から5匹子猫が来るって連絡受けているから、待ってて」と言われて、もんもんと待つ私、夫、息子、そして母
みゃあみゃあと小さい子猫が5匹。ダンボールに入れられてやってきた。

「きた~~~~!!」テンションマックスな私達

 ちなみにダンボールはカップヌードルUSA。 持ってきた女性はメキシコ系の女性で泣いていた。旦那のほうは「ほれ、早くしろよ」みたいな感じで2人でスペイン語で話していた。
くっきりした顔だちで灰色の毛並みの一番小さかった子猫に決めた。抱っこさせてもらった夫はあまりの可愛さ、あまりの小ささに悶絶。



 おとうたん、一番厳しいこと言ってたのにノックアウトの瞬間だった。
だけど、その日にもらって帰れないと言われた。なぜかというとLAの法律で生後2ヶ月以内の子猫は譲歩できないのだそうだ。
なので、最初の子猫も(予約済み)だったのだ。一週間後に来てくださいと言われて
「いや~~~~~」蛇の生殺しだ。でも仕方なく、次の週までワクワクと待った。




 
 さて、運命のその日。灰色毛並みちゃん、いた、いた!!。茶トラの子猫と一緒に寝ていた。 うんやっぱりかわいい~と書類にサインを始めた。 譲歩にあたって厳しい項目がたくさんあった。一つ一つよく読みながらサインをしていく。

 (完全に室内飼いにすること)(爪の除去手術は絶対に行わない)(ワクチン注射は必ずすること)(避妊手術も必ずおこなうこと)

 ここで里親会の人と夫と話が始まった。 実は一緒に寝ている茶トラの子猫はまだ里親が決まっていないだと。

 私は最初は一匹と決めていた。ペットの病院代が高いのを知っていた。それから譲歩にもお金がかかるのだ。確か一匹120ドルだった。これには避妊手術代金が含まれている。
座って手続きを待ってた私に夫がそろそろと近づいてくる。

「あの、あのね」くねくねしてる。
「もう一匹いーですか?ツーいいですか?」
「え~~??だめだよ、最初は一匹!」
「兄弟がいるの、オレンジタビー(茶トラ)だって一緒にスリーピング」

 目がうるうるしてる。涙目の夫くねくねしつつ

「可哀想だよ、ハグしてる。引き離せないよツープリーズ!」
「う~ん、だって病院代もかかるんだよ…」
「お給料上がったから!」

 そのうち母と息子も来て3人で目で訴えられた私。
「しょうがないなあ、じゃあそうする?」




 わ~~と盛り上がる家族。 いそいそともう一枚書類を書く夫。

 どれどれ売れ残りの茶トラはどんな顔?と見に行こうとすると、なんとなんと次に来た子猫は真っ白なチンチラ種の子猫でキャットフードのモデルのよう。こんな美しい猫見たことないというような子猫だった。
ふわっふわの真っ白。せこいけど買ったら10万円くらいしそうと瞬時に考えてしまった。それにしても可愛すぎる。

「ギャ~~~すっごい可愛いの来た!!この子がいいなあ、ねえもう遅い?」とひどい私。
「遅いし、2匹飼いたいのはそんな理由じゃないよ、仲良しの兄弟だからなんだよ」
あううう美猫には人が群がってる。ボランティアに来ていた高校生まで

「私、この子ドネーションする!」と言い里親会から断られていた。
「え?どうしてノーなのよ!」ガム噛みながら怒ってる。この里親会は人をよく見ていて断わっている家族も多かった。

 5匹の子猫が来た時に他の子猫を抱っこさせたもらっていた家族は断られていた。小さい子供が多くて、それは良いのだが、猫の扱いが乱暴だった。話し方などもよーく観察していたようだ。
そういうことはあとから聞いたので、信用されたのだなあと嬉しかった。

 そんなプロな里親会の女性は夫を見ぬいた。

 売れ残ってる茶トラ、この人なら幸せに出来ると。



「兄弟一緒のほうが良い、特にこんなに仲良しならば」と言われて抱っこしあって寝ている子猫を見せられて腰が抜けたおとうたん。
鬼嫁にそーっとお願いした。鬼嫁はしぶしぶOKしたものの、あとから来た白猫に心奪われている。
「いっそ3匹でも良いですよ」なんて言ってくれた。どこまで信用されているんだ、おとうたん。ああ~白のチンチラあ~。

「いえ、今回はこの兄弟をお願いします」と我に返ったおとうたん。書類を済ませ、お金を払い、必要な物を全部そのペットショップで購入した。 子猫のフード、トイレ、砂。それから小さいキャリーも2つ買った。 ペットショップはペットが売れなくなった今、こうやってビジネスを続けていて、合理的ですごくいいことだと思った。

「じゃあおうちに帰ろうね」とそれぞれをキャリーに入れます。茶トラの方の顔立ちは正直灰色の方よりも劣っていた。 ひとことで言うと、わるそーだった。


うう、まだ心残りの白い猫をせめて写真を撮ろうとして息子に怒られた。




「何してるのママ、うちの子はこの子だよ」と悪茶トラを抱っこしている。
「そっか…そうだよね、うちの子だもんね」車の中でキャリーを開けて茶トラに
「よろしくね」と挨拶をすると
「えっぷし」と加トちゃんのようなくしゃみをされ、顔に鼻水を飛ばされた。
「き、きたねー!」

 そんなはじめての挨拶を交わした私達。家につくと元気に2匹で飛び跳ねている。
グレータビーはコタロウ。呼び名はコタちゃん。 
オレンジタビーはチャチャマルと名づけた呼び名はチャチャ。

「あ、可愛い、一緒に遊んでる。やっぱり2匹でよかった仲良しだね」
「ね、言ったとおりでしょう?」鼻の穴膨らますおとうたん。
子猫のあまりの可愛い動作に私の心も捕まりかけた。が、なんかくせえ。お腹を壊していたチャチャの足が汚れていた。

「あ~もう、しょうがないなあ」にこにことバスルームのシンクに連れて行って足を洗おうとゆるいお湯をかけた瞬間
ふぎゃ~~~~~~と私の肩まで駆け上り、そのままどすんと下に落ちぶっ飛んで逃げて行った。

「こ、このやろう!!」
私の胸には13本の傷。たぶん前足10本分、後ろ足3本。

「ばきゃろー恩知らず!!」
そして鬼嫁は夫を指差して
「一匹でいいって言ったよね!!返してきて!!」ひどい。





 それから6年。


 チャチャはものすごい甘えん坊で私のことが大好きでどこでもくっついてくる。私も見ているだけで泣いてしまうほど、溺愛している。あまりのかわいさに失神しそうなくらいだ。ねこのいない生活は考えられない。

 そして夫には冷たいチャチャ。 夫の一言でうちの子になったのに。

 「ママは本当はひどいんだよ、君のことを返してきてって言ったんだよ」と時々言いつけている夫だった。




うにが島へうに退治

 



 LAでは空港のそばに住んでいた。エルセグンドという治安があまり良くない場所だった。アパートメントはゲートがついていて、住民以外は入れないようになっていた。夜はあまり出かけず、アパート内のプールに行ったり、家で映画を見たりしていた。




 ある夜、皆が居間に集まっていた時。
夫は(さきいか)を食べていた。息子も夫も大好きなサキイカ。これ2人共、さけイカだと思っていた。

「さきいか、だよ。さけじゃなくて」。

 夫と息子「ええ~??お酒を飲みながら食べるから(さけいか)だと思ってた」。
こういうのはすごく納得できる。 確かに~! そのほうが良かったのに~と。

 日本語の変化がむずかし~っと言っている。
たとえば本は1冊、お皿は1枚、鉛筆は1本とか、なんで変わるのかと。
変わるのはわかるとして、いっぽん、にほん。とはなぜ発音が変わるのかと。

「猫の数え方は?匹?そうなんだ。 じゃあいちひき、にひき、さんひき?」

「違う違う、いっぴきって発音するんだよ」

「へ~じゃあ、にっぴき?」「ちが~う。にひき」

「じゃあ、さんひき?」ちが~う。そしてなんでと怒ってる。

 この前まで時間の1分、2分も 2ぷん?って聞いてた。
変えなくても良いのに。 もう2ぷんにしちゃえばいいのに。
全部ぷん、で。5ぷん。とか。

 それから別の日に息子が石像の話をはじめた。

「Gargoyle(ガーゴイル:教会の屋根などにある怪獣の形の彫像)って、日本語でなんていうの?」
「なんだろうね、石像でいいんじゃない? 名前ないよね?」(後で調べたらヒハシというそうだ。)
「あれは、悪い物を追いはらうのに怖い形なんだよね?そういう悪いものは……」
その時、夫は自信満々に 

「それは、うに!」

「それ…おに……ブ……うにいい~~~ぶわっはっはっは~~!!鬼をうに~」
いつまでも笑う私を悔しそうに見つめる夫。

「地獄にいるうに~あはは!」

「桃太郎はどこに行ったの?ええ?うにを退治にうにヶ島?ぎゃはは」

しばらく笑いといじめは止まらず。悔しそうな夫。でもこれはおもしろすぎる。

それから家族でLAのダウンタウンに行った時のこと。 
ダウンタウンのコリアタウンにかかる時にハングルの看板を見て夫は

「あ!ここカンゴク!!」

……韓国だよ。

監獄じゃないよ、点々つけちゃったよ。

大爆笑な車中
「監獄って~~惜しい~~けど惜しくない~~!!それプリズンぎゃはは!!」
夫は「もう日本語話さない!!」なんて言ってましたけど、5分後に

「さっきの言葉なんだっけ? カンゴフだよね?」

今度は真ん中に点々つけちゃったよ。看護婦じゃないよ。
「それナース!きゃはは」

韓国から監獄、看護婦。 うう~~ん、惜しすぎる。そして面白すぎる。


◆ ◆ ◆

 次の移動地はオハイオになった。今現在もオハイオで暮らしている。

 LAからオハイオは飛行機で数時間。犬猫はケージに入れて貨物室が普通なのだが、ペットが乗客と一緒に乗ることができる飛行機を選んだ。席代は払うのに足元に置く。でもこれならキャリーに入れて足元において一緒にフライトできる。

 オハイオはLAとはまた全く違うアメリカだった。アイダホのように荒野のカウボーイではないが、やはり田舎だった。緑が豊かで素朴な人たちが多く、のどかという言葉がぴったりな場所だ。

 ところが、この場所にきて母の様子がどんどん変わっていった。都会が好きな母、そしてLAでは何かやりがいのあることがしたいと商売を始めていた。
基地の中でワゴン台での販売。 商品は自分のペン画のカードや日本から輸入した小物など。始めるのにあたって夫は銀行で手続きをしたり、カードを作ったり、仕入れをしたり、ありとあらゆるサポートをしてくれていた。

 LAではアパート暮らしだったが、オハイオは不動産が安いので4部屋(私達の部屋、息子の部屋、母の部屋プラスゲストルーム)の家を建てる事になった。その部屋で絵を描いたり、本を読んだり、日本のビデオを見る毎日。こういう静かでのどかな生活は性に合っていなかったのか母はどんどんうつ状態になっていった。

 ある夏、母だけでもと一時帰国をさせることになった。夫はお金を工面してなんとか母が幸せになってほしいと思ったのだ。一ヶ月日本へ帰り、オハイオに帰ってきた後

「やっぱり日本が良い」と帰国してしまった。えええ~~~?
そう、これが親呼び寄せのその後のエピローグだ。
元はといえば、呼び寄せのために市民権を取ったのに!金銭的なことだけでも、家族をスポンサーにして永住権申請をする場合、申請費用として合計1365ドルを移民局に支払う。それからステータスを変えるとやらの訳の分からない代金1000ドル。きー。

 ビジネス用のタックスなどの申請をして、母の絵を売るためのスタンドやフレームなどたくさん仕入れたままだ。
オハイオから日本への一時帰国も無理して代金を捻出したのだが

「やっぱり無理だから日本に帰る」

 ちょっ??ひどい!私はかなりぷりぷり怒っていたら夫は
「ママは日本に帰りたかったんだから、これで良かったんだよ。タイミングは悪かったけど、できるだけのことはしてあげられた。だから良かったと思うよ」

 夫は心底優しい人だ。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。これからも夫の日本語は笑うと思うけど(をい)一生力いっぱいサポートしていきたいと思う。
そして母も日本に帰ることができて今は良かったと心から思う。

陰部オープンってなんぞ?

夫の日本語の間違いばかりを取り上げて大笑いするのはフェアではないので私の英語の間違いも書いおこう。ただ夫の間違える日本語のほうがうんと面白い。絶対に~。

 ちょっと言い間違えて全く違う意味になるところ(監獄を看護婦とか)は英語も同じ。

 例えばゴールデングローブ賞 がテレビであったんですけど、これを
「ゴールデングレープス!!見ようね!」
「グレープス!食べるの?」違うよ。 

 そのゴールデングローブ賞にモーガンフリーマンが出たとき
「すごい!見てみて!!スタンディングオペレーション!!」

 正しくはスタンディングオベーション 敬意を払い立ち上がって拍手すること。スタンディングオペレーションって!!立ったままの手術…。

 でも途中で突っ込んでくれないと、間違ったことさえ気がつかないでドンドコドンドコしゃべっていく。

 出産時に子宮が収縮することをcontractionコントラクションというのだが、私はConstructionコンストラクションが~と叫びました。それ工事。惜しいけど全然違う例。

 ニクソンの話の時に
「うん、うん、あれね!ホワイトゲートね!」もちろんウオーターゲートです、私馬鹿な人みたい。

 こんな風にワタシ的にはちっともおもしろくないのだが、夫と息子はお腹抱えて大笑いしている。ほぼ毎日。はい、ほぼ毎日。

 きわめつけが、コンタクトレンズの検査の話。

 その日ドクターはあれこれ目の検査をして(フッと風があたるのとか)
をした後に
「瞳孔を拡大する目薬入れますね」と言った。
 ちなみにこの英語
瞳孔拡張  dilation of the pupil と言う。
瞳孔はPupil。 発音はピューポー。

 昔聞いた時は、「なにピューポーって変な言葉!あっはっは!
ピューポー!!スターウオーズかよ R2D2かよ」と、大笑いした。
なので罰が当たったかも知れない。この言葉よく忘れる。まあ、あまり使わない言葉かもしれないが。

 この日も「わあ、眩しい~」と言いながら検査室から出たら(この検査の後は光がすごく眩しい)
夫が「だいじょうぶ?」
「あ、だいじょうぶ、ほら、あの検査したの。Pubicをワイドにオープンするやつを!!」

ピューポーとピュービックを間違えた!!

Pubicピュービックとは……陰部のことでございます。


陰部検査って……言っちゃったよ。
ワイドにオープンって……言っちゃったよ。

どんな目医者なんだよ。

夫と息子は大爆笑だ。「結構大きい声で言ったよね~!!」と

誰も聞いてないよ。何人か振り返ったけどね。

SGIってなんの略??

夫はここオハイオで、また病院関係の仕事だ。

 「今日は仕事どうだった?」と聞くと夫、よーく考えて。

 「いい、だった!」 ……おしい。

 過去形には(だった)を使うルール。(例、素敵だった、きれいだった)

「言い方が違うよ~」
「あ、そか…じゃあ…よい、かった!!」
「どっちも、違う~! よかった」って言うんだよ。

 がっくりきている、おとうたん。

よく語尾につける(だ)が抜けたり、反対に多かったりしてる。

例 「だって~好きから~!! 」(抜ける例)
  「かわいいだから~~!!」(多い例)

 家族で今日は何をするって言う話をしてて、息子とゲームするの?なんて聞いてた時に、夫が

「今日は…やりたい!!」
I wanna do it!って言いたかった夫、Doをやる、と訳しちゃったよ。

 夫は礼儀正しき人なので自分が先に食べる場合に
「食べていいですか?」と聞いてくれる。「どうぞ」というと

「ありがとう、ではお大事に!」
そこはお先に、だ。 惜しくない。

先日もなかなか面白いことを言っていた。

仕事場からの電話は他の人にわからないように日本語が多いのだが、慌てて話すのでかなりおもしろいことになっている。

「仕事終わる、早いよ。でも6時からパーティーある。オフィスの人バイバイしちゃう」

翻訳「今日は仕事は早く終わるけど、職場の人のお別れ会が6時からある」

 これはかなりわかりやすい例だ。(これで?)バイバイしちゃうパーティーはお別れ会だ。
全くわからない日もあって、もう途中で笑っちゃってお腹が痛い。夫も釣られて笑ってるし。

「今日、はやいは、おわらない! 問題ある。仕事はおわった。でももっとある。おわったら~あとにある」

翻訳たぶん 「今日は問題が発生して早く帰れないんだ、仕事そのものは終わったけれど、その後にする仕事がある」

そしてかなりあってる時もある。

「でも帰る。そしたら家で仕事ある。コンピューター持って帰る(お、調子いい)そしたら、話すのできる、話したい?(ん?話がある?)少し用事ありますけど、帰る」

「わあ、すごいね、上手になったね!ほとんどあってたよ」


 いつも間違えるのが(帰った後で)を(帰るの後で)と言うのだ。

「カエルの後でご飯食べるね」なんかカエルが先にご飯食べるみたいだ。

ですが、時々本当はペラペラなんじゃと思うような時もある。

 夫が最近つくった高度なジョーク。

夫の所属するアメリカ軍、3文字略語がすごく多い。

例えばPCS 
パーマネントチェンジステーション ステーション{駐在基地}を変わることだ。こういうのがたくさんある。

頭文字を取って3文字にするもの。

FBI (Federal Bureau of Investigation : 連邦捜査局)
CIA (Central Intelligence Agency : 米中央情報局)

ネットスラングも
LOL(laughing out loudこれは(笑)に近いです)から
OMG(Oh my Godご存知の、オーマイガ!!めっちゃ驚いた時につかいます)など、他にもたくさんある。

 先日ずっと勉強していた夫が 「オ~~~ SGI!」 と言ったので

「SGI??ええ~なにそれ?聞いたことないよ~?なに?」 と聞いたら

「尻が痛い!(S)hiri (G)a (I)tai 」だって。

うまい!!山田君、尻が痛いんだって座布団あげて!!



 変な発音とオハイオに来てから。


 アメリカに来てぶったまげたことの1つはカタカナの発音が違いすぎることだ。 
最初から日本語のひらがなは英語で覚えるけれど、カタカナは油断する。

「きっと、似てるに違いないよ」って。

 有名なのがマクドナルド。 

 一番近いカタカナ表記は ミックナ~~~ロ~
マでなくてミ。そしてクは限りなく小さく、クとナの間に聞こえないくらいのドをいれ、最後のロ~は限りなくルドに近いロです。
似ても似つかず。

 アメリカ人の友達にマックって日本語でどう発音するか知ってる?マ。ク。ド。ナ。ル。ド。って切るんだよって教えると、「うそでしょう~?きゃはは」と大笑い。

 君たちだってカラオケの発音出来てないよ? キャアラオッキ~と言う。気持ち悪い。

 Keの発音がキなので酒(Sake)もサッキ~と言う人が多いです。

キャラオッキーに行ってサッキーを飲まない?なんてね。 いやです。

 タイフーン(台風)のように日本語になってるのもあるけど、ひどいのが盆栽。 
いつのまにかBanzaiになっている。バンザイTree。何かと思った。

 地名も日本語になっているものは注意。例えばシベリア。
シベ~リアアなんて言っても通じない。 これはサイビュリアだ。
サイビューリアン・ハアスキーと聞いた時はなにかと思った。シベリアンハスキーだった。

 短い発音も注意が必要だ。例えばチリ。 発音はチレなのだ。
私はこれ最近まで知らなかった。

「チレ?どこ?知らないよ?」
「この間炭鉱の事故があったじゃない?」
「チリでしょう?」
「それが~チレ!チリは食べるやつ!」
同じだもんね、知らないよ、チレなんて。

 私はコンセントも間違えた。英語じゃない!コンセント。絶対に英語だと思っていて「コウ~ンスエント~」なんて言ってみたら、夫は変な顔していた。
正しくはアウトレットOutletというのだ。な、なんでえ??日本ではアウトレットモールの意味だけ~。

 同じ発音で違うものもある。例えばストーブ。 これは日本のストーブを指すのではなくて、キッチンのコンロのことなのだ。
最初はいろいろと混乱したのを思い出した。カタカナは危険だ。


オハイオについて

 のどかなオハイオ。アイダホ田舎とはまた違った田舎で、アメリカ人の感覚だと郊外。馬も牛もいるけれど、郊外型の綺麗なモールもあるよ。そんな発達途上田舎。

 野生の鹿も近所まで来る。 春から夏にかけて小さいうさぎがいっぱい来る。家も土地のお値段が安いので広く、何よりも暖房がきっちりしている。ここは冬は猛烈な大雪でマイナス20度になるところ。夏は快適に過ごせる。

 娯楽のないアイダホで人は浮気ばかりしていると書いたけど、ここも娯楽はあまり無い。ただし、ものすごくクリスチャンが多いので(汝、姦淫するなかれ)ということで近所でのスキャンダルな話しは聞いたことがない。

 ただ、数年前に誘拐監禁の大きな事件も発覚したから、場所でかなり違うのだと思う。北のクリーブランドのほうが治安が悪いと聞いている。

 4年前、ここに来て驚いたことはフレンドリーで親切な人が多いことだった。LAはかなりワイルドなところで、映画に出てくる悪い言葉はひと通り聞くことができるし、運転も荒く中指おっ立ても何回も見た。 ここでは一回も見たことない。それどころか、誰かの家の前を通るときに、全く知らない人が手を降ってくれる。

 そんなオハイオ、とっても気に入っている。夫の職場は相変わらず忙しいが、ERとか飛行機で患者さんを運ぶ救命士ではなくデスクワークが主になった。

 最近はオフィースからの電話で日本語をトライしている。
他の人に話の内容がわからないように。でも私もわからない。

「帰りに〇〇買ってきて」と電話した日

「遅い、いいですか? 今、会議するかな? そうしたら~おわるなんじ?わからないよ? そうしたら~おそく、なる。 だけどいいかったらいいよ」

翻訳
「遅くなってもいい? 今から会議だと思うから何時に終わるかわからない。遅くなってもいいのならいいよ」

焦ると特にめちゃくちゃになる。今会議するかな?というときなどに。
それから
探しものをしている夫に
「あったの??」と聞くと
「あった、ない!!」
「あった、ない~??ワハハ違うでしょう!!」(ひどい嫁)
「え???(ちょっと、考えて)  あ!あって、ない!!」
それこそ、あってない、だよ。 

「ない、でいいんだよ」どうも、納得行かない様子。

最近一番爆笑したのは

「マウイ島の~山~~背が高いよ。 富士山は~もっと背が高い、でもこの山も少し背が高いよ」

翻訳
「マウイ島にある山は、富士山よりは低けれど結構高い山である」

これは「笑うな」という方が無理だ。お腹抱えてヒーヒー笑った。でもね、夫も私の英語よく笑ってる。だからおあいこでいいよね?

いろいろなことがあったけど、全てのことに感謝。

 

 オハイオに来て「思えば遠くに来たもんだ」という言葉が浮かんだことがある。

 英語も母国語のようにとはいかないけれど、不自由しなくなった。(相変わらず間違えるけど)風習にひい~~っと驚くこともなくなった。反対に日本の風習を忘れていて「そうだっけ?」と驚いたりする。

 夫は日本が大好きで自分でリクエストを出して日本に来た。それでも日本の習慣で困惑することも多かったと思う。今でも日本は大好きだけど日本では嫌なこともあった。

 結婚してはじめは日本に住んだのだが、外国人ということで家を借りるのも大変だった。それから旅館などの旅行の予約も外国人同士ではだめと何箇所も断られた。 

 私も日本に住む日本人でいながら、外国側の目で見なければ、知らないこともとても多かった。

 結婚前、渡米前の書類の多さも大変だった。

 大使館も何回も行った。警視庁(犯罪の記録がないか)も行った。病院の検査も何回も行った。指定病院で料金も高かったように記憶している。

 米国に渡ってからは今度は私のほうが文化の違い、風習の違いに戸惑った。

 初めてのアメリカはアイダホの荒野だったので、この頃は言葉もわからないことが多かったし、なにもかも初めてで、帰ることばかり考えていた。 何かといえば「日本に帰る~~」

 寂しくて、辛くて、この時もよく泣いていた。
今では毎日大笑いしている我が家だが、いろいろなことがあった。

 結婚して知らないことがあまりにもあり困惑した日々。

 アメリカで慣れない風習に涙した日々。

 突然病に倒れ闘病した日々。

 いつでも家族がサポートしてくれて、そのおかげで乗り切ることができたと思う。

 23年たち、アメリカ生活もすっかり慣れて、国籍を取り、お互いにいろいろ理解できたかなあ?と思っている。

 何よりも大事なのは歩み寄ることだと思う。これは日本人同士でもアメリカ人同士でも全く同じだと思うのだ。

 お互いをたとえ理解できない部分があっても(理解しようと歩み寄る気持)が大事だと思う。理解できないこともたくさんあるし、自分はできない!と思っても

「そうなんだ~」と認める心が国際結婚を維持していくコツかなかなと思う。そして、それはどんな形の結婚でも同じなのだと思う。

 これからも、どこの国に住むとしても、夫と息子がいるところが私の世界と思っている。 

 息子にもいつか家族が増えた時、どこの国のお嫁さんが来ても夫のママが私にしてくれたように、初めて会った時には抱きしめて I love youと言ってあげたい。

そして夫と一緒に歳を重ねていきたい。


「いろいろあったね」と話しながら
「日本語また間違えてるよ」「英語もね」と笑いながら。



 私はこの人と結婚できて本当に良かった。

 とっても、とっても幸せだ。

 ありがとう。 アメリカンおとうたん。





。。。。。。。。。。。。。。。。。




あとがき

最後までお読みいただきありがとうございました。

結婚生活は色々あると思いますが、特に国際結婚は山あり谷ありでした。

おもしろいことだけ書こうと思いましたが、泣いたこともありました。
大きな問題はやはり子供のしつけや教育問題でした。

しかし子供が小学校2年生のときに私に乳がんが見つかり闘病のために突然ハワイに引っ越すことになったのです。
それから数年は私にとっても家族にとってもすごく辛いものでした。
学校も行けない時期もあり、教育どころではなかったように思います。

皮肉なことにこの時期家族の絆がすごく強くなったのです。

あの頃に比べたら多少のことは、と思えるようになりました。
本当に大事なものが見えたような気がします。

現在、息子は大学生になりました。
外国語の(日本語)の授業を取って家庭教師のようなこともやっています。
私の日本語の間違いを指摘されます。とほほ。


家族はとても仲が良いと思います。
私のモットーは家の中は明るく楽しく。です。
お母さんが(妻が)健康で明るいことは大事なことだと思うのです。

息子もいつか結婚するでしょう。違う国の人かもしれません。

その時にはお嫁ちゃんをだきしめて「大丈夫だよ」と笑ってあげたいと思います。